責任は俺が持つ

こんにちは。

実は私これが2回目の投稿なのですが、1回目の投稿の勢いで1本目の投稿直後に書いております。

先日仁志敏久さん著の「指導力」という本を読んでいてなるほどなと思った記事があったので抜粋して少し紹介しようと思います。

コーチの「責任は俺がとる」

たまにプロ野球選手の話の中でコーチが「責任は俺が持つ」ということを言ってくださったという話を聞くことがあります。これは一見コーチや監督がいいことをしているように見えてついこういった発言をしがちですがこれには大きな落とし穴があるのです。

 プレーするのは選手

指導力」の中では責任のありかについて、打撃でも守備でもその来たボールに対してどのように動くかという選択は選手が責任を持つべきだという話でした。その中でミスが出てしまったらそれは指導者が受け止めて正して責任を負うということでした。

たしかにな

そう思いました。

正直指導側に回ったとき表面的に「責任は俺が取る」という言葉を理解したつもりで使うところでした。

しかし実際の意味はもっと深いものでした。単純に責任は俺がとるといっても結局それはその場しのぎの言葉でしかないのです。いくら指導者が責任は俺がとるといってもプレーするのは選手で、その選手のエラーで試合に負けてしまったとしたらやり玉に会うのはその選手です。

 選手の持つ責任とコーチ、監督の持つ責任

それにプレーする前から責任のありかをコーチにしてしまうとその選手のプレーが持つ意味が薄くなってしまいます。

例えばコーチに責任は俺が持つからと言われたから成功する自信はないけど盗塁を試みてアウトになったとしましょう。

この時最初から責任のありかをコーチにしてしまうとこの選手に盗塁失敗について反省する必要はなく、盗塁失敗の持つ意味が薄くなってしまいます。

しかしこれを盗塁するかどうかという判断を選手の責任、その結果失敗したか成功したかというのをコーチの責任とするとどうでしょう。

選手はその判断に根拠があったのか、成功する自信があったのかということについて議論の余地が出ます。

コーチは失敗したときにじゃあなぜ選手はいけると思ったのに失敗という結果に終わってしまったというところについての指導の余地が生まれます。これがコーチの責任となるということです。

野球というのは確率のスポーツで100%というのはありません。だからこそ責任のありかをしっかりと分けるというのが重要なのです。選手は責任をもって成功する確率の高いプレーを選択しなければなりません。しかし先ほども述べたように100%はないのでミスは必ず出ます。その時に指導者の責任というものが生じるのです。指導者は判断が間違っていたのであればそれは修正し、もし判断そのものは間違っていなかったが結果として失敗に終わってしまったらそれが成功する確率を上げるように指導していく責任があるのです。

 まとめ

今回私が考えたことは以下の3つです。

  • 責任は俺が持つ発言は意味をしっかりと伝えたうえで使う
  • 選手はプレーの選択に対して責任を負わなければいけない
  • その選手がどのような選択をしたかを含めたプレーの結果に対してコーチや監督は責任を負わなければいけない

今回はここまでです。また機会があったらほかのこの本のほかの部分やほかの本についても紹介していけたらいいなと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。